2003年12月のアメリカ留学滞在記
大晦日(2003.12.31)

日本の大晦日には,年越しそばが欠かせません。その点ここシアトルでは何の心配もありません。日本食スーパーへ行けば,何種類ものそばが売られており,いつでも手にはいるのです。この年末年始は私が主夫として全ての家事を遂行しておりますので,腕が鳴るところです。また,明日からのお正月のことも考えねばなりません。今年はおせち料理を揃えることは止めようと考えていたので,それほど焦る必要はありませんが,正月らしさを演出するために黒豆を煮ることにしました。という訳で,

〜黒豆の煮物の作り方〜

用意するもの
黒豆 250グラム
砂糖 250グラム
醤油 大さじ1杯
錆釘 適宜
水  適宜

1. 鍋に洗った黒豆と錆釘を入れ,黒豆が隠れるぐらいに水を入れます。
2. このまま3時間放置します。
3. 水を少し加えて,中火で煮始めます。煮立ったら,灰汁を取って,弱火にします。
4. クッキングペーパーの落としぶたをします。
5. 水が減っては追加して,豆が水面から出ないように気をつけ,3時間ほど煮ます。
6. 豆が指で潰せるくらいになったら,砂糖を加え,火を止め味を染み込ませます。
7. 最後に醤油を加えて出来上がりです。
(注意点:釘は布巾などで包んで入れる方が良いそうです。今回は釘がどこに行ったか分からなくなり,釘を見つけるまで,冷や冷やしながら食べることになりました。)

なんと簡単でしょう。これで,明日から多少ともお正月らしさが伴います。
これを作りながら,そばを茹で,年越しそばを家族に振る舞いました。
写真は,コンロ全てを使いながらの獅子奮迅の調理風景です。



病院に再び受診(2003.12.30)

電話で病院の予約を取っていたので,家内を連れて出かけました。本来受診するよう言われていた先生は休暇を取っているということでしたので,代わりの先生に見ていただきました。今回は,救急ではないので,予約の時に予め通訳の方を御願いしてみました。(タダですし・・)今回の先生は,かなりの御高齢で,愛想良く話をしていただけるのですが,診察は服(厚いセーターを含む)の上から,お腹を触っただけでした。ことの成り行きを必死に説明したところ,途中で気が変わったのか採血をしてみようと言われたので,採血の検査が加わりました。日本語の通訳の方がおられるので,必死に英語をしゃべらずに楽をしようと考えていたのですが,自分の言葉の意味が,通訳の方に理解できない場合,結局,医師にはちゃんと伝わりません。通訳の方も医学の専門家ではないので難しいところなのでしょうが,通訳の方の訳を聞いていると,もどかしくなり自分の英語で説明したくなることが何度もありました。かといって,英語で話したところで,私の英語力では100%伝えることは至難の業ですし,通訳さんが気を悪くしてもいけませんし・・・小心者の私はすべてを通訳さんにお任せすることにしました。次回の受診は,来年の1月6日になりました。
写真は夜になって積もった雪です。



流産確定(2003.12.29)

家内が回復するまで仕事を休もうと考えていたのですが,どうしても実験で区切りを付けて置かねばならないことが残っていたので,子どもを幼稚園に連れて行った後,家内をアパートに寝かせ,午前中だけ仕事に出かけました。仕事中に家から送られてきたメールを見て,唖然としました。組織が出たというメールが家から届きました。直ぐに家に戻ってその組織を確認しましたが,小さくてはっきりとは分かりませんが,胎盤のようでした。組織が出た後からは,これまで増強し続けていた痛みや出血が減ってきたようです。家内にはそのままベッドで休むよう指示しましたが,無理は禁物です。早い週数での流産は,受精卵が問題で生じることが原因ですので,防ぐ手だてはありません。そうは解っていてもとても残念な結果となってしまいました。そういえば,昨年は年末に子供がインフルエンザで寝込んでいました。年末は誰かが病気になります。



救急受診(2003.12.28)

妊娠初期であった家内が昨日少量の出血があったと訴えました。できるだけ安静に保って様子をみていたのですが,今日になって症状が急に悪化したため,救急で病院を受診することにしました。いわゆるERというやつです。電話をかけると救急担当のナースに繋いでくれます。症状を話すと,直ぐに受診しろということだったので,出かけることにしました。Check Inの書類を記入すると,ナースの問診があります。日本の通訳を呼ぼうか?と言われたのですが,時間がかかるようなので,何とか会話に答えて済ませました。おかげで他の患者より症状が重大だと判断されたのでしょうか,早くに呼んでもらえました。救急と言えば若い医師の当直バイトというイメージしかなかったのですが,担当医はベテランの落ちついた雰囲気の先生でした。診察の結果はやはり流産でした。子宮口が開いていること,採血で測定したhCG(妊娠が継続していると高値になるホルモン)の値がそれほど高くないのでもう流産している可能性が高いという説明でした。恐らく,妊娠組織は出てしまった後だろうということでした。しきりに血液以外の組織が出てこなかったか質問されましたが,そんなものは出ていないと答えると,外来でhCGの値を見ながら最終的に判断するということで,次回受診の予約も,電話で取るよう言われました。悩んだようでしが,週数が少なくエコ−は役に立たない可能性が高いといわれ,超音波検査※はありませんでした。日本なら入院して経過を見ることもあり得るでしょうが,出血と痛みが増強したら病院の戻るよう念を押され,家に帰るように言われました。道がところどころ凍り付いている寒い夜でした。

※超音波検査は普通にやっても非常に高いと聞いていたので,ERでやったらどんな請求が来るのかびびっていました。我々の保険は妊娠に関する疾患には適用されないので,全て自腹払いになります。)



クリスマスセール(2003.12.26)

25日は店も休みのところが多いのですが,翌日からはクリスマスのセールが再開されます。この日は我々のお気に入りのアウトレットモールであるノースベンドのファクトリーストアズへ出かけました。期待したとおり格安でいろいろなものが買えました。この日,一番買い物をしたのがGAPでした。冬物のセーターなどいつもでは考えられない値段で,後になってもっと買っておけばよかったと後悔するぐらいです。



クリスマス・パーティ(2003.12.25)

クリスマスをどう過ごそうかと悩んでいましたが,子どもの幼稚園の友達の家に招待されたので,2度とない(かもしれない)本場のクリスマス・パーティに参加することにしました。招待していただいたご家庭ですが,付いた早々その家の大きさにびっくりです。奥様は幼稚園のPTAの会長をされているそうですが,英会話の練習を兼ねてご主人から聞いた話では,ご主人はマイクロソフトでプログラマーの部長職をお勤めだそうです。てっきり,Windowsに関わっておられるのかと思って聞いてみると,Visual Basicの開発の部長だそうです。6-7家族が集まったパーティで,子どもたちはプレゼント交換と持ち寄った料理に大喜びでした。我々はちらし寿司を作って持っていったのですが,家内が頭から湯気を出しながら作った甲斐あって,大人にも子どもにも大人気の一品となっているようでした。(有名なすし太郎を使ったんですけどね・・・)英語ばかりのパーティはいつも後半,英語に疲れ果てるのですが,今回は日本語が得意な韓国人研究者の家族も来ておられたため,後半は彼らと日本語で会話することにしました。



狂牛病(2003.12.24)

よりによって我々の住むワシントン州で狂牛病が発生しました。狂牛病はプリオンというウイルスより小さい病原体によって脳障害が生じる病気で人間も感染する可能性がある病気です。日本でも2001年に発病が報告され,その後,食用牛の全頭検査を行っていることはご存じの通りです。狂牛病はヨーロッパの多く,これまでアメリカでは発見されていないことから,日本より安いことを良いことに安心して牛肉を食べていました。更に悪いことに狂牛病の牛肉は,シアトル市の我々のよく利用するスーパーでも販売されたと言うではありませんか。この病気の感染率など詳しいことは未だ不明ですが,潜伏期間は1年から数年だそうです。これから数年の間に発病したらこれが原因でしょう・・・
アメリカ人はクリスマスにケーキを食べないそうですが,我々日本人にはケーキは欠かせません。写真はクリスマスケーキを買いに行った後,大渋滞に捕まったところです。



ダウンタウンでクリスマス(2003.12.21)

シアトルの中心でクリスマスを堪能するため夕方から出かけてみました。スペースニードルにはてっぺんにツリーを思わせる飾りが付けられて,普段より賑やかでした。ダウンタウンでは,ツリーは大したことはないのですが,星型の巨大なイルミネーションや,メリーゴーランド,遊覧馬車などがあり,人で賑わっていました。



Candy Cane Lane(2003.12.20)

先日,訪ねたときにはまだライトアップされていなかったCandy Cane Laneに再度でかけてみました。周辺は写真のように渋滞しており,近づくのが大変ですので,裏道に駐車して歩いて小道に入ってみました。全ての家がライトアップを義務づけられているというだけあって,賑やかさはシアトル随一です。写真をたくさん撮って帰りました。



おまえの文章はメチャメチャだ!(2003.12.15)

私の師匠である大ボス先生は多忙な方ですが,月に1回長い時間を取って,若手研究者と(私は若くはないですが)議論する時間を持ちます。そこで,議論までに自分の研究内容をまとめて文章にし,電子メールで送っておかねばなりません。明日の午後3時が私の時間だったので,今日の夕方に文章を送って安心して家に帰りました。ところが,夜の10時半頃,大ボス先生から私が書いた文章が送り返されてきました。メールの文面には「おまえの文章はメチャメチャじゃないか。この文章をよく見ろ。おまえはもっと英語の文章の書き方を習うべきだ。」と書いてあります。そんなに長い文章ではないので,1時間位でサラサラと書いて,ワープロのチェックを通しただけですので,「なんか変なことを書いてしまったか」,「すごく失礼な表現があったのか」いろいろな考えが頭をよぎり,真っ青になってしまいました。もう一度,自分の文章を見るのですが,どう悪いのかが全く分かりません。大急ぎで,謝罪と今後の英語の勉強に関する決意を込めたメールを作成して送り返しましたが,頭の中は明日のことで一杯です。11時半に,大ボス先生から返事が返ってきました。「いや,英語が悪いのではない。コンピューターが悪いのだ。明日,議論しよう。」不安でよく眠れぬ一夜を過ごすことになりました。
翌日,大ボス先生に見せていただいた私の文章はレイアウトが大きく崩れ,見るも無惨なものでした。私はマック用のマイクロソフト・ワードを使っている訳ですが,OS9という一世代前のソフトウエアを使っていたときには,こんな問題は起こりませんでした。ところが,どうも最新のワード(しかも日本版)を使って作業をすると,英語フォントしか使っていなくても,英語版のワードで見てみると,レイアウトが崩れるのです。いろいろ試してみるとカーニングという機能が悪さをしてレイアウトを崩しているようなのですが,結局うまい解決策を見いだせませんでした。今後は,この実験室にある英語版のワードで文章を書くことにしますが,帰国後のために英語版ワードを買っておく必要があるかもしれません。



韓国料理(2003.12.14)

子供の計算試験合格は2週続けてのことだったので,2日続けて料理の話題です。1ヶ月ほど前に韓国料理のお店に行きましたが,その焼き肉の味が忘れられず,どうしても肉を焼きたくなってきたので,出かけることにしました。前回行ったのは実は2号店らしくて,本店はシアトルのはるか南のフェデラル・ウェイという街にあります。いつか紹介したモンゴリアン・グリルと同じ街です。お店の名前はMiraku(味楽)といいますが,こちらのお店は漢字で名前が書いてあったので,ハングルが読めない我々にも簡単に見つけることができました。前回のお店と比べると,少し古くて狭い印象ですが,その代わり大人気で,席に着けない客が立って待っている状態がずっと続いていました。肉はカルビと骨付きカルビ(かな?)を注文しましたが家族3人では,一緒に出てくるキムチなどのおかずとご飯を合わせるとかなりの量でおなか一杯になります。このおかずの味は2号店よりこちらのお店の方が我々には合うようです。シアトルからはちょっと遠いですが,満足できるお店と言えます。ちなみに韓国には日本と違った食事マナーもあるようで,我々はあまり気にはしていませんでしたが,お店の中はほとんどが韓国人ですから,多少は知っておいた方がよいかもしれません。



インド料理(2003.12.13)

我々にはいつも気になっていたインド料理店があります。このお店の名前は Taste of India といい,我々がいつもよく使うルーズベルト通りに面してあります。通るたびに,店の前にも人だかりができており,大繁盛しているインド料理店のようです。シアトルに来てから,行こう行こうと思いながら,行ってみると定休日だったり,行列が長すぎて諦めたりと,なかなか縁がありませんでした。今日,子供が土曜日の補習校の計算試験で合格したということもあり,昼食のために出かけてみることにしました。時間はちょうどお昼12時であったこともあり,並ぶことなくお店にはいることができました。カレーやバター・チキンなどを,ラッシーと一緒にいただいたのですが,なかなか日本家庭では出すことのできない味を堪能させていただきました。カレーの量が日本人にはやや多く感じましたが,味には大満足です。帰るときには店の前にはいつもの人だかりができていましたが,また,行ってみることにしましょう。ただし,すいている時間帯を狙って・・・

ちなみに,この日の午前中にベルビューの日本語学校である古本市に行ってきました。ちょっと道に迷って出遅れたため,長蛇の列の後ろの方に並ぶ羽目になりました。残念ながら,前回のように図鑑を手に入れることはできませんでしたが,多くの日本語書籍を入手しました。



幼稚園での催し物(2003.12.12)

9月から子供が幼稚園に通い始めていますが,我々の選んだ幼稚園には,いわゆる参観日というものがありません。アメリカの幼稚園がどこでもそうなのか,またはこの幼稚園だけがそうであるのかどうかは分かりませんが,運動会などの親が参加できるイベントがほとんど無いのです。まあ,プレスクールの性格が日本で言う保育園や託児所であると考えれば当然なのかもしれませんが,ちょっとさみしいものがあります。そんな幼稚園で,やっと親が参加できる催しがありました。クリスマスが近いので,子供たちがハンドベルなどのパフォーマンスを練習していたようですが,その発表会があったのです。4時半からということなので,若干ながら罪の意識を感じながらも(この辺は日本人の気質が抜けなくていけませんが)早めに仕事を切り上げ,出かけました。発表会の直前に幼稚園に着いたのですが,会場は人で一杯になっており,一番後ろから見る羽目になってしまいました。この辺は日本の幼稚園の運動会と同じで,以下に速く到着して場所を取るかが重要なようです。ふと見ると,同僚の中国人のポスドクが最前列を陣取っているではありませんか。(一体何時に仕事を終えたのでしょう?今度聞いてみます。)発表は歌あり,踊りあり,ハンドベルありと,子供たちが元気にいろんなことをやっておりました。幼稚園でも日本では組み体操など目を見張るほど,訓練された動きを見せたりすることがありますが,こちらの幼稚園では,ある程度子供たちに自由が与えられているようで,動きはバラバラですが,楽しそうです。これも国民性なのでしょうか?



ポケットティッシュ(2003.12.11)

日本では街を歩くと,(と言っても私が住んでいた田舎の町ではなく)大きな街を歩くと,多くのポケットティッシュを手にれることができます。消費者金融をはじめとして,女性の場合はテレクラの番号を書いたティッシュがもらえるので,ポケットティッシュに困ることはあり得ませんでした。ところが,ここシアトルに来て,街を歩く機会ももちろんありますが,ポケットティッシュをもらったことは,一度もありません。それどころか,こちらでは多分ティッシュ自体の使用頻度が少ないのではないかと思います。日本ではティッシュと言えば箱に入って5箱いくらで売っていますが,こちらのスーパーでは,どんな量販店に行っても,1箱単位でしか売っていません。また,あまり売れている様子もありません。ロールティッシュが大きな塊で,売られているのと比べると対照的です。しかも,箱入りティッシュは高価で買う気がしません。日本では生活の多くの場面で活躍する箱入りティッシュですが,アメリカではそこまでの地位は獲得していないようです。むしろ,食事に関しては紙ナプキンが大抵使われますし,その他はロールティッシュが主役のようです。ちょっとした違いですが,渡米した当初は,安い箱入りティッシュを求めて,あちこち探したのが思い出されます。



簡単!トルティアとタコスの作り方(2003.12.10)

トルティアの材料
・強力粉100グラム
・トウモロコシ粉100グラム
・熱湯適宜

タコスの具になるもの
・肉(刻んで焼いたり,薄切りを焼いたりしておく。)
・千切りのレタス
・その他何でも好きなものを・・・
・サワークリーム
・サルサソース

ボウルに粉を併せ入れます。熱湯をほんの少しずつ注ぎながら,素手でこね始めます。熱湯で火傷しないように,あくまでも少しずつです。ぼそぼそした感じになれば,もう少しです。べちょべちょする場合は,お湯の入れすぎです。回復するために,粉を足しましょう。あまり手にひっつかなくて,なおかつ簡単に2つに割れない感じ(表現が難しいですが・・)を目指しましょう。20分ぐらいこねることになるでしょうか。こね終わったら,ボールにぬれ布巾でも書けて,20-60分ぐらい寝かせます。その後,生地を10等分して,テーブルの上に小麦粉で打ち粉をして,そこで薄く平らに延ばします。

フライパンに油を引かずに熱して,薄く伸ばした生地を焼いていきます。
片面がきつね色になったらひっくり返して,もう片側を焼きます。一部,膨らんでくることがありますが,膨らんだままにしておくと形が良くありませんので,箸などで潰します。手早く10枚を焼き上げて,終わりです。
テーブルについて,みんな銘々で,別に用意した具を乗せて,サルサソースやサワークリームで味付けして,食べます。
簡単で楽しい食卓になりますので,一度おためしください。

追記:以前,火災報知器事件などを引き起こしてしまったタコスですが,その後も何度か作る機会があり,私の定番メニューとなってしまいました。



クリスマスのライトアップ(2003.12.08)

日本でも最近話題になっていますが,この時期に自分の家の周りに,色とりどりの電灯を灯して飾り付ける方が増えています。私はぼろアパート住まいなので,飾り付けるべきベランダすら持ちませんが,街の住宅街には徐々にイルミネーションが始まっていますので,夜に少し見て回ることにしました。シアトルのクリスマス・デコレーションの中でも一般の住宅街で最も有名なものはCandy Cane Laneという小道だそうです。この時期のライトアップは50年前から続いているとか。ですがこの日我々が行ったときには時期が早いせいか,時間が早かったのか分かりませんが,飾り付けの電球はセットしてありましたが,点灯している家はまだありませんでした。そこで,その他の住宅街を回ってみました。今回はシアトルの北西の地域(greenwoodの西)を見てみましたが,気合いの入っている家は写真のように,賑やかです。これからこのような家が増えて町中クリスマス一色になるのでしょう。



PowerBookの修理(2003.12.07)

先日,私のパワーブックが壊れたことを書きましたが,新たに購入したiBookG4へのデータ移行と環境移行が完全に終了しました。そこで,パワーブックを修理に出すべく,我が家の1ブロック北にあるMac Storeへ修理について相談するべく,出かけました。店員はとても親切で,修理の見積を出すためにいろいろ調べてくれたのですが,最終的に1300ドルかかるだろう言われてしまいました。iBookを買うのにかかった費用が1100ドルですから,高すぎます。泣く泣く修理を諦めざるを得ませんでした。1300ドルあればiBookがもう一台買えてしまいます。日本のアップルの修理は確か高くても47000円の一律料金を示していたはずです。(例外があるのかどうかは知りませんが)しばらく,パワーブックは眠らせておき,iBookのみで,仕事をすることになりそうです。でも,こちらで買ったiBookは英語キーボードなんですよね。日本ではあこがれていましたが,使ってみるとreturnキーが小さく,日本語変換の確定するときなど,かなりの確立ですぐ上の\キーを叩いてしまい,変換がだいなしになってしまいます。こちらの方は慣れるのに時?'が少し要りそうです。



小ボス先生のお別れパーティ(2003.12.06)

私が2月に渡米して以来,一緒に実験してきた小ボス先生が異動されることになりました。新しいを職をノースカロライナに得たとのことです。この先生のお別れパーティは,大ボス先生の自宅で行われることになりました。同じ立場の研究者でもお別れパーティにならずに,お別れランチだけで終わったりすることもあるので,この先生はきっとラボへの貢献が大きかったのでしょうか。パーテイは和やかに行われていたのですが,それより驚いたのは大ボス先生の自宅です。玄関から見れば2階建てなのですが,家の裏から見れば3階建てです。大きな庭があり,その先は一面海になっています。まるで,別荘地のような素晴らしい眺めです。アメリカの生活の良さを実感しました。
写真は持参したちらし寿司。アメリカ人には大好評でした。



風邪でダウン(2003.12.04)

熱は下がりつつありますが,筋肉痛もひどく家で休むことにしました。



高熱(2003.12.03)

昨日から筋肉痛がして体調は思わしくなかったのですが,今日は仕事場に出てきてから寒気がして体に震えが止まらなくなりました。今週末で異動される小ボス先生と最後のディスカッションをしなければなりませんので,それを終えた後は自動車で家内に迎えに来てもらい,帰ることにしました。言えに戻ったときは寒気は幾分落ちついていましたが,それでも体温は38.5℃でした。薬を飲んで寝ることにしました。きっと,ロサンゼルスの暖かい気候から,急に寒いシアトルに戻ってきたためでしょう。英会話教室では最後の試験の日ですが,とてもいけませんでした。残念。



新しいコンピュータが到着(2003.12.01)

連休が終わり,運送会社に眠っていたiBookG4がやっと家に届きました。今まで使っていたPowerBookと比べると頑丈そうです。更に小ぶりで持ち運びに便利にもかかわらず,私のPowerBookG4より速いのですから文句のつけようがありません。これが1000ドルで買えるのですから時代も変わったものです。





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