運転免許取得(2003.02.28)
午前中Qwestがきて,電話工事をしようとしましたが,端末の入った部屋が空かず帰っていってしまいました 。結局,電話はまだ使えません。いつ電話は使えるのでしょうか? 一方,午前中仕事を抜け出して,免許の路上試験に望みました。何とか合格しましたが,テストコースにロータリーが多く,指示器の方向を間違えた私はかなり減点され,危なかったです。でも,試験管の方も何回も受験に来られても困るからか,きわどく合格にしてくれました。IDはアパートの契約書も持っていきましたが,銀行からの郵便物でOKでした。 その足で,レンタカーを返却しましたが,2週間で$500ちょっと,高い出費となってしまいました。免許代と思って我慢します。
運転免許試験のリベンジ(2003.02.27)
銀行のインターネット取引を申し込みます。これで,毎月の出費がいつでも確認できて助かるはずです。 午後からは運転免許試験へ再度挑戦しなんとか合格しました。同時に受けた家内の方が点数がよく,面目が立ちません。ただ,IDはパスポートだけではダメで,住所の書いたものを持ってこいといわれました。(小切手(住所は記入されています)はダメで,銀行からきた郵便物はよいとのことであった。このあたりは事務官のよって解釈が異なるようで,私の担当の事務官はそう言いました。) 写真は昼間に何故か消防車に乗せていただく息子であります。どういういきさつがあったのか私は知りません。
手続き(2003.02.26)
Qwest(電話会社)よりやっと返事が来て,金曜午後5時に電話が使えるとのことでした。これで一安心です。 Comcast(ケーブルTV)にTVとInternetの申し込みをしました。 AIGIS(保険会社)へ電話して,自動車保険を申し込みました。これは日本語で申し込みができたので,保険の難解な用語を理解する必要もなく,安い金額で保険に入れるので,非常によいサービスと思います。お勧めです。
マイカーを入手(2003.02.25)
Qwest(電話会社)より,我々の電話申し込みが存在しないと返事があったので,そんなはずはないと更に調査を依頼しました。 こちらの銀行に十分な資金が用意できたので,HULING BROS(自動車ディーラー)へ直接出向き,車の契約をしました。後で当方の住所が違うことに気付き,メールを送りました。どうなることやら・・
Qwestとの戦いが始まる(2003.02.24)
我々は入国後すぐに電話の申し込みをしました。(もしくはそのはずです。)今日,Qwest(電話会社)へ電話申し込みがどうなっているかを問い合わせて見ました。答えは24時間で返事するとのことでした。
日曜は買い物できず(2003.02.23)
晴れたので,ワシントン湖の見学を兼ねて,ベルビューへ出かけました。 ベルビュースクエアというショッピングモールでは高級な商品をたくさん見ることができましたが,今の我々には関係ないものです。(と家族に念を押した。)ワシントン湖の南を回って帰ったが,道に迷いました。まだ,アメリカのハイウエイの運転に慣れないようです。
土曜は買い物(2003.02.22)
ホームセンターで買い物をしました。この日買って良かったものは洗濯干しセット?(ひも$3,洗濯ばさみ$2で50個)です。これで乾燥機代1回$1がこの先ずっと浮きます。
誕生会(2003.02.21)
我々を出迎えるために秘書さんが借りていてくれたチャイルドシートのレンタル期限が来ました。レンタル会社に出向き,もう1ヶ月のレンタルを申し込みました。(後1カ月で4歳になるのでそれまで必要です。その後は安価なブースターシートが利用できます。)また,レンタカーの期限なので,もう1週間延長しました。(未だ車を買う資金は到着せず,車がないと買物も困難です。)この日の夕方,ラボのメンバーの誕生会がありました。みんなケーキを囲んでなにやら楽しそうでしたが,一般の会話は早口で話題が次々変わるので非常に難しいです。こんなんが毎週あるのか?
英語のセミナー(2003.02.20)
職場で9時からと12時からセミナーがあり,出席してみました。英語力のせいで,内容の理解は十分とはいえません。今後,英語力が向上するのかどうか不安です。
運転免許試験(2003.02.19)
ワシントン州ではここに住所を持って住む場合,国際免許で運転可能であるのは入国後1カ月です。ですので,ワシントン州のドライバーズ・ライセンスは必需品です。この日の午後に免許試験を受けに行きましたが,惜しいところで不合格でした。あと1問だったのに・・・ やはり,多少の勉強は必要なようです。(日本とは大分違うので,常識だけで何とかなるというのは間違いのようです。それとも私に常識がなかったのか・・) 夜は宇和島屋で買った怪しいアジア風ソーセージを食べましたが,今度は家内がすべて吐いてしまいました。その後,すごい発熱!私と子供はどうもなかったので,食あたりではなさそうですが,この家族は一体どうなってしまうのでしょうか。
食事が合わない?(2003.02.18)
朝食時に子供がまた吐いてしまいました。 処方して持ってきていた,吐き気止めを使いましたが,非常に心配です。元気そうに見えてもストレスがあるのでしょうか。
休日(2003.02.17)
休日です。大統領の日だとか。我々はせっせと生活を整える準備をします。ダウンタウンにある日本食スーパー宇和島屋の2階にある紀伊国屋で入国時に紛失してしまった電子辞書を購入しました。割高ですが必需品ですので仕方ありません。(家内が行きの飛行機内でなくしたので困っていました) 夜はこの日購入したアジア風タレを用いて焼き肉をするが,子供がすべて吐いてしまいました。やはり,日本の食事に慣れきっていたせいで,食事が合わないのでしょうか。
今日も買い出し(2003.02.16)
ホームセンター(庶民の味方target)で生活備品の買い込みをしました。 寝具を更に豪華にするため,エアーベッドを購入($20)しましたが,あまり好評でなく,使っていません。写真はターゲットではなく,前日のIKEAの写真です。
買い出し(2003.02.15)
土曜日のため秘書さんはお休みです。もはや秘書さんは頼りにならないので,昨日モールで買った地図を頼りにIKEA(家具屋)へなんとか到着しました。 大変大きな家具屋で感激したが,今日ベッドを買っても火曜日まで配達されないとのことでした。このままではまた床に寝ないといけないので,結局持って帰れそうな厚いマットレスを2つ買い込み,これを車に詰め込んで帰りました。ついでにTableセットを買う。夜はよく眠れました。 写真はレンタカーです。乗り心地はよいが,後になって思えば,バンタイプにしておけば買い物がもっと楽であっただろうと思います。ソファなどは自分で運べたはずです。
サバイバルな夜(2003.02.14)
秘書さんに御願いして,レンターカー屋に連れて行ってもらいました。 これを使って,ホテルをチェックアウト後,引っ越しをしました。新しいアパートは住む設備はまだないのですが,ホテル代を浮かさなければ,留学資金の貯金がどんどん減ってしまうので,そうすることに決めました。 とりあえず,食べることは外でできても寝ることはアパートでしなければならないので,寝る道具を揃えに,教えてもらった家具屋に向かいました。我々の持っていた地図の範囲外にあった店のため,道に迷いまくり,結局断念せざるを得ませんでした。 すぐに,近くのモールで薄いかけ毛布みたいなものを購入しましたが,すでに夜が遅く,周囲がわからない状態でこれ以上行動するのは事故の危険もあると判断し,仕方なくさみしい寝具で一夜を過ごすことになりました。
仕事場で挨拶(2003.02.13)
仕事場のミーティング(Lab meeting)に参加して挨拶しました。 午後から車を探しに行きました。だいたい車を決めたのですが,アメリカの口座のお金が足りず,クレジットでの支払いの併用を交渉するが,ダメといわれてしまいました。 しかたなく,夜にCitibankからの海外送金を可能にする書類を,送ってもらうよう義母にメールで依頼しました。一方で,もしものため預けていたお金を海外送金で送っていただきました。手数料や日本国内にいる人に頼まなければならないという手間を考えると車が買える程度の資金はトラベラーズチェックを手数料なしで作成し,自分で持参(税関では申告)するのが最良でしょう。夜はホテルの前のCutinaCutinaでイタリアンをいただきました。写真は数日間滞在したホテル(レジデンス・イン)です。
シアトルでの住居決定(2003.02.12)
何軒か探し回ったあげくapartmentを決定しました。日本にいたときに検索して見つけていたアパートに最初に連れて行っていただいたのですが,空いている部屋が1階しかありませんでした。子供が走り回っても,階下に迷惑がかからないという利点はあり,秘書さんには強く勧められましたが,こちらのアパートは1階といっても半地下になっていて,あまり気が進みませんでした。窓はあるものの,窓より高いところを歩行者が歩いていて,窓を開ける気がしません。また,防犯上も心配です。なにより,この部屋を見学している家内の機嫌が最悪でした。昼間に家にいることが多い家族の意向を汲んで別のアパートに連れて行っていただくよう秘書さんに御願いしました。秘書さんは環境もいいし,ここで良いじゃない?という態度も少し見られましたが,何軒か見ないと決められません。次に見に行ったのは,ワシントン大学の隣にある地域です。学生さんが多く住む地域ですので,アパートはたくさんあります。また,最近のシアトルは不景気のためか空室が非常に多いので,選び放題です。結局,数件見て回った中で最も明るい部屋に決めました。2ベッドルームにしては各部屋が少し狭いのが難点ですが,価格もリーズナブルだったので決めました。ここで,小切手を初めて使うことになります。 昼はAokiというお寿司屋さんでで,お寿司をごちそうになりました。 夜はホテルの近くでHootersに入りました。どんな店か知らず,外から見ると家族もいて,明るく楽しそうであったので入ったのですが,中に入ってびっくり。水着のお姉さんが料理を運んでいるお店でした。家族の白い目をいたく感じながら,楽しむ私でありました。(後で調べると有名なお店だそうですね。秘書さんにも家族で行くなんて信じられないと笑われました・・)写真はアパートの近くの交差点です。この時期のシアトルには珍しく晴れていました。
日本を発つ日!(2003.02.11)
8:30羽田行きの飛行機に乗る。空港には先輩や同僚の先生方に見送りに来ていただき,恐縮しました。羽田から成田へはリムジンバスで移動。みんな熟睡する。(まずい,飛行機の中で寝なければ,翌日時差ボケが・・と思いながら) 成田でチェックイン後,日本最後の食事。なぜかイタリアンですが,飛行機の中で寝るためと言い訳し,ひたすらビールを飲んでしまいました。 15時50分ノースウエストNW8でついに離日。 着く時間は早朝なので,飛行機の中で寝ることが時差ボケ予防に重要と思いましたが,ここで息子が悪魔と化しました。興奮してちょろちょろ動きます。結局通路側の席に放置し,大人は寝ることにしました。子供は子供で空の旅を楽しんでいたみたいです。(後で聞くと,日本で最近,飛行機の屋根が吹き飛んだりした事件の特集番組をやっていたらしく,これを見たために心配で仕方なかったとのことでした。) 6時50分シアトルタコマ国際空港に無事着陸。 税関でうっかり申告するのを忘れていた日本円が見つかり,緊張するもドルと合わせても総額1万ドルを越えていなかったため,無罪放免となりました。危なかったです。1万ドルを超えていたら全額没収するのだそうです!皆さん気を付けましょう。ですが,ここでまた大問題,家内が飛行機に電子辞書を忘れてきたといいだしたのです。ノースウエストの職員に探していただきましたが見つからず,断念するもこのため更に40分余計にロスしました。 空港の外へ出ると,ラボの秘書さんが出迎えてくれていました。入国に時間がかかり過ぎたことをわびねばならなかったのですが,なんとか考えていったが通じたのであろうか?・・ 我々は足がないので,ホテルに連れて行ってもらいチェックインした後は,宇和島屋(シアトルで有名なアジアンフードのマーケット)へ連れて行ってもらい,多少の買い物をしました。 夕方,疲れ果てた家族は残して,一人で銀行口座(普通・当座)の開設のためWashingtonMutual銀行へ連れて行ってもらいました。トラベラーズチェックを全部入金したが,枚数が多いのでサインに苦労しました。やはりこういう目的のチェックは額面$1000のものにすべきだと後悔しました。でも,田舎の都市銀行では$1000のトラベラーズチェックは手に入らなかったのです。(成田空港の銀行では手に入りますが,これは自分が通帳を持っている銀行でないと手数料が高いです。) 夜はみんな疲れていましたので,私自らが腕をふるい,昼間に購入していた食材を使って,すき焼きを振る舞いました。結構うまかったです。
日本最後の夜(2003.02.10)
職場近くのグリーンシティホテルに泊まります。(安い!)廃車の御願いをしていたネッツ・トヨタの課長に,ホテルに車を引き取りにきていただきました。課長自ら来ていただき恐縮しました。結局我が家の自動車2台とも格安で廃車にしていただいたことになります。別れ際にしっかり「帰国された際にはぜひともうちで・・」と念を押されました。覚えておきましょう。課長。日本最後の夕食はなぜか中華。ホテルには,何と職場からメッセージが届いていました。行動がなぜかばれている。
保険関係の手続き(2003.02.07)
出国日が決まったため,保険会社global pretectionへ連絡を入れます。Aigisにも結局加入しました。出国日を急に決めたため,証書は国内配送が間に合わないので,アメリカの仕事先にへ送ってもらうこととしました。あわただしい旅立ちはあまりお勧めできないです。
国内引っ越し(2003.02.06)
こちらもヤマト運輸さんに御願いし10万位でやっていただきました。 持っていかない荷物,家具,電化製品は実家に預かってもらうことにしました。庭に新たに物置を設置しましたが足りず,一部屋を荷物でつぶすことになりました。すいません。私本人は職場へ出勤,お世話になった先生方に挨拶をさせていただきました。海外発表用ポスターを作成,後輩のT先生に託しました。仕事関係ですべきことは終了です。多分・・・
国外引っ越し(2003.02.05)
ヤマト運輸さんに御願いしましたが,15万円で済んでしまいました。荷物を極端に切りつめて少なくしてしまいましたが,予想外に少なく,最低の量(1立方メートル)にも足りず,もっと持っていくものはないのかと業者の方から催促されることになってしまいました。私ってなんて謙虚なんでしょう。でも,もっと持っていくものを増やせばよかったと後悔しています。(後にシアトルに家族で来ている留学生の方々に聞くと,皆さんだいたい4立法メートル位は持ってくるようです。今から思えば,たくさん持ってきた方が後悔しない分良いかと思います。)
海外学会の予演会(2003.02.04)
私は出席しない学会の発表練習会がありました。出席しなくても発表はする?ので,(正確に言うと代わりに後輩が発表するので)参加させていただきました。徐々に国内での仕事が片づいてゆく今日この頃です。
J-1ビザ入手(2003.02.01)
申請から10日間待って,J-1ビザが届いたと旅行会社から連絡がありました。ここまで長い道のりでしたが,ビザを手に入れたからには,速やかに日本脱出を目指します。この日に,あらかじめ手配してあった,引っ越し業者に引っ越し日の正式決定の連絡を送りました。また,出国のための飛行機チケットを予約します。観光シーズンではないので飛行機は空席だらけで安いチケットがいつでもとれるということでした。(後で搭乗してわかったのですが,満席でした。)
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