三十路になってからこの病気の事を知りました。
それに、専門用語をなるべく使わない、
素人で今日見た者にも解る素晴らしい構成でびっくりしました。
テストをしてADHDではない、との判断が出ましたが、私はそのケが十分あると考えています。例えばADHD的要素が60点からADHDと決定されるのであれば、59点はどうなんでしょう?かなりADHD的要素アリアリのギリギリ非ADHDじゃないですか?
初めは鬱的症状で心療内科に通っていたのですが、この所、幼少期の事まで聞かれるようになり、どうしてそんな事聞かれるんだろうって、ずっと思っていました。
そういえば自動車教習所を卒業するのに3年かかった事とか(教官の殆どの人に『注意散漫』と書かれました。40歳を過ぎて、補習なしにストレートで合格する人もいる中で・・・。)、直感で判断して失敗したり、正義感が強すぎて、今ならニュースで問題になっている不祥事問題が自分のいる所でなされていると知れば、「それはいけないことです」と言ってしまったがために、組織ぐるみで隠蔽して「問題児の」私は排除されたりと、問題である事は問題なのです・・・。(でも・・・いけない事はいけない事ですよね?!)それを言うのは、例えて言えば、今目の前でカツアゲしている不良に向かって「あなた方は悪い人です」と言うのと同くらい危険な事なのでしょうか?(でも、今でも私なら言います。)
こういう疑問形にするのも、自分では正しいと感じつつ、実社会で経験が不足しているからだろうか、と考えたり、それでもそれを幾度も繰り返してきた私にとっては、今までの自分の常識、善悪の判断や親からの教育も根底から崩される人生において大問題なんです・・・。
応援しています。頑張ってください。